『クリームソーダにうってつけの日々① ―― 2026年4月21日』

 なぜだか、クリームソーダミュージアムを開くのは昼下がりが多い。なにも、その名から食後のデザートと位置づけているわけではないが、一面ネオングリーンの鮮やかさが、午睡の誘惑を払ってくれるからかもしれない。それこそ、ひんやりと甘いクリームソーダを一口飲んだように。

 …と言いつつ、夜も覗く。油断していると、日に数度更新されるからだ。トップページから「Artist」ページへ。下へ下へスクロールした先に、「1 2 3 4 5 6」を見つける。去年の今頃は、まだ2ページ目ができたくらいではなかったか。1ページに50名義が掲載されているから、1年で200近く増えたことになる。「6」を選んで、再び下へスクロール。このページにもだいぶ名義が溜まってきたことを、少しづつ延びていく、エレベーターでひたすら下りていくような時間から感じている間に到着した。目に入ったのは「ポス」。クリームソーダミュージアムは上から(ほぼ)登録順に並んでいるから、新しいアーティストは最新ページの最下段に生まれる。故にポスは、新しい別名義だった。それも、この日確認しただけで2つ目の。

ポス

アーティスト。エアームに存在する美術館であり、アーティストのレモミュージアムによって生み出された。一日中家にいてどこにも行かなかった日にちをどこにも行かなかったという記録としてテキストで記録しているシリーズなどがある。

 「レモミュージアム」は、日中にはもう追加されていた。新参者である彼ら(?)もまた、ここ最近、集中的に数を増している「エアーム」シリーズに連なる。エアームのプロフィールは、ポスからさかのぼること13番目に登場するが、その間の12名義もすべてエアームゆかりのアーティストだ。

エアーム

都市。アーティスト。ゴルゴルなど架空の都市を制作するアーティスト、フレデリック・ル・レステンクールによって生み出された。この都市はアーティストでもあり、様々なアーティストを生み出している。

 エアームが生み出したアーティストは、レモミュージアムを含め現在3名。他2名は「ロロ」と「エアーム駅」。後者はその名のとおり駅であり、前者は「主にエアームで使用されている言語」。どちらもアーティストとして、4、5名ずつアーティストを生み出しており、ここでノートを取り出して図を描いてみる。

 まずはポスと記入する。これから広がっていく予定だから、小さく、真ん中あたりに。そして、あと3、4人追加できるように意識しながら、少し大きめの円でポスを囲う。ランドルト環みたいに上部を開けたのは、レモミュージアムと書き入れるためだ。同様に、ロロとエアーム駅の円をそれぞれ描く。そしてまた、後で追加できるようにそれらを大きめの円で囲い、これでエアームが出来上がる。まだ半分くらい空白の、開発中のエアームに対して、同じく都市でありアーティストの「ゴルゴル」は発展している。エアームもこの規模の都市になるのだろうか。ゴルゴルの円の中には8つの小さな円=アーティストがあり、さらにその中に4〜9名ずつ収まっている。数え間違えでなければ総勢63名。クリームソーダミュージアムの1ページ超を占めるそんな大所帯のゴルゴルと、開発中のエアームを、さらに大きな円で囲う。その円の名は「フレデリック・ル・レステンクール」だ。

フレデリック・ル・レステンクール

アーティスト。架空の都市を制作するアーティスト。そしてまた、それらの都市自体もアーティストであり、その都市もまた都市生活者であるアーティストを制作する。代表的な作品としての都市に『ゴルゴル』(2026)などがある。

 マトリョーシカ、あるいはシャボン玉の中のシャボン玉みたいな入れ子構造は、何もこの架空都市シリーズだけではない。フレデリック・ル・レステンクールは4ページの下から3番目に載っているが、同じページの上から6番目に位置する「東トッツ」を見てみよう。

東トッツ

アーティスト。架空のアーティスト名を言葉の作品として考案するアーティスト。例えば、既存の事物や概念、人物などを勝手に別の名前にアーティストとして命名したり、空想の世界の事物や概念、人物などをアーティスト名として考案し命名したりする。

 中村さん本人といっても差し支えないプロフィールを持つ彼から始まるのは「アーティストネームアーティスト」シリーズだが、構造自体は架空都市シリーズに比べてシンプルだ。円の大きさも4分の1くらいでいい。東トッツの円の中に、3人の名前を少し離して書く。そのとき、「上北ミカソル」を真ん中付近にするといいだろう。何しろ、彼(?)もこの後アーティストを生むのだから。上北の中には、「宮先そうま」と「志茂たけし」。前者はさらに3名のアーティストを作り出すから、合わせて9名。図らずも、架空都市シリーズのちょうど7分の1の規模だ。

 架空都市シリーズと、「アーティストネームアーティスト」シリーズ。これらに共通するのは、アーティストを作るアーティストの存在だ。しかし、その扱いは大きく異なる。前者では、たとえばゴルゴルという都市が「フヴァフナ美術大学」を生み出す。さらに同大学もアーティストを生み出すが、そうして誕生した彼らは違う。「鉄沢宙泳」が作るのはひらがなを組み合わせたグラフィックで、「ペマ・ラモ」の作品はカラフルな同心円だ。つまり、レステンクールがゴルゴルを、ゴルゴルがフヴァフナ美術大学を、同大学がペマ・ラモを作った段階で “同心円” は完成する。

 一方で、「アーティストネームアーティスト」の東トッツが作った上北ミカソルは、宮先そうまを作った。宮先もまた、3名のアーティストを生み出したが、その彼らも「アーティストネームアーティスト」だ。現状はここで止まっているが、原理的には延々と続き得るこの構造は、アートの歴史を模式化したもの、抽出したものなのではないか。私淑であれ師弟であれ、多かれ少なかれアーティストは過去のアーティストから、過去のアーティストはさらに過去のアーティストから影響を受ける(はずだ)。中村さんは、これまで見てきたような架空の存在だけでなく、自然現象や美術の技法、社会制度などもアーティスト化してきたが、そうした明示的、網羅的なやり方(〇〇=アーティスト)に飽き足らず、構造的にも「アートワールド」を表象し始めたのかもしれない。同様に考えれば、架空都市シリーズは美術館だろうか。複数の円=展示室の中で、アーティストをある文脈に布置してみせる “大きな円” としての。

 ひるがえって架空都市シリーズは、現実の美術館だけでなく、そもそもが美術館のパロディで(も)あるクリームソーダミュージアム自体を内側から批評しているし、架空都市を制作するレステンクール、そして「アーティストネームアーティスト」の祖である東トッツは、中村さんの制作を異なる方向から描いた、2枚の戯画ともいえる存在なのではないか。

 …そんなことを考えながら、クリームソーダミュージアムを徘徊している内に私の4月21日は終わった。どこにも出かけなかった。「一日中家にいてどこにも行かなかった日にちをどこにも行かなかったという記録としてテキストで記録」するポスもまた、

2026.04.21

A record of a day in which I go nowhere.

上の記録=作品を見る限り、この日はどこにも行かなかったようだ。私とポスの1日が、どこにも行かなかったがために繋がったことは、

ポムネの間

誰かと誰かが同時にそれを想起することによって、二者もしくは複数人の間で生まれる距離はどんなに離れていても関係しない空間の制約を超えて立ち上がる、遍在的な媒介空間。アーティスト。〔……〕

2ページの上から32番目に登場する「ポムネの間」を思い出させて、クリームソーダミュージアムにアクセスすること自体が、「遍在的な媒介空間」にひととき遊ぶことなのだろう。故にあなたがクリームソーダミュージアムを訪れるとき、私も館内を右往左往しているかもしれない。ペンとノートを携えて。

〈続く〉